お昼に起きると、Aさんからメールが届いている。昨日、「『カポーティ』だか『ゆれる』をみたときに」と書いたのは、「ゆれる」だったようだ。記憶力がいいね、って、べつに挑発しているわけではない。
バリカンを買ってからというもの、毎日頭を刈っている。もっと身だしなみで気を遣うべき点はたくさんあるんだけど、身だしなみとして刈っているわけじゃなくって、バリカンを使うのが楽しくて仕方がないだけだ。最初は6ミリに刈っていたんだけど、数日前に3ミリに刈ってみた。手ざわりは3ミリのほうがいいんだけど、青々とし過ぎている。それで、やっぱり6ミリにしておこう、と思ったんだけど、3ミリに買って以来、バリカンで頭をなぞっても、ちっとも刈れなくってつまらない。 専門とは関係のない読書をしているうちに日が暮れる。17時から外出し、久しぶりに本屋へ(お金がないときに本屋へ行くと、お金がないことが分かっているはずなのに、つい買ってしまうので、行かないようにしている)。何冊か買って、駅前の「ローソン」でZAZENのチケットを購入。広島クアトロのキャパは800くらいのはずなのに、整理番号は150番台だ。公演まで10日ほどだというのに、ここまで売れ残っている公演は初めてだ。広島出身の人間としては、ちょっとやるせない。 スーパーで買い物をして帰宅。これまた久しぶりで夕方のニュース番組をみると、テレ朝で宮島の鹿問題を取り上げている。鹿せんべいを売っているおじさん(モザイク入り)が責められていた。俺はあのおじさんからせんべいを買ったこともあるし、写真を撮ってもらったこともあるから、おじさんの肩を持ちたくなる。いや、そうでなくっても、おじさんの言い分は真っ当だ。つまり、こういう番組でよくあるような、ねこ問題あるいはイノシシ問題なんかとはちがって、宮島の鹿というのは売りの一つだからだ。 こういう情報を取り上げるために書いているわけじゃないからアレだけど、来月の「現代思想」の特集は「岸信介」だそうだ。えっ、「現代思想」で岸信介? 明日はいよいよ、ZAZENBOYSの渋谷AX公演だ。かなり久しぶりな感じがする、と思って調べたら、あの夏の2つのフェス以来だ。ワンマン公演ということに限定すれば、6月にツボウチさんを誘って観に行って以来。さっき買い物に出かけるまではそうでもなかったのに、いまはもう、眠れないほどわくわくしている。まぁ、眠れないのは生活リズムの問題なんだけど。僕はいつまで、こうしてわくわくしていられるんだろう。 昨日、ベンジャミン・フランクリンの名前に反応してしまったのは、ツボウチさんの講演でその名前が出ていて、その文字起こしをしていたからだ。校正(なんて呼べる代物ではもちろんないけど、まわりくどい言い方をするのもアレなので「校正」と書いただけ、って、結局まわりくどいね)を終えた。80分で約1万8千字だ。
引き続き、生活リズムが乱れている。生活リズムが乱れていても、昼間に用事がないから困りはしないんだけど、やっぱり効率が悪くなる。一日でこなせる量というのが減ってしまう。
17時に大学へ行き、研究会に出る。今日はコレを書いたK先生から、その本についてお話をうかがう。もうタイカンされているご高名な先生がいらしていた。独特の存在感というか、マンガであればその背景のトーンがすごいことになっていそうな、そういうタダモノじゃない雰囲気があって、さすがだなあと感服する(S教授にもそういうところはある)。その先生や、本を書いた先生の話を聞いていると、俺ももっとペースを上げて色々読まなくては、という刺激を受ける。この本には武田泰淳や庄司薫が出てきて、こういう人を語るときにそういう名前が出てくると、俺はコロッといってしまいそうになる。 20時に帰宅。「のだめ」(フジ)、のだめの存在感がグッと上がってきている(俺の中で)。単にああいう髪型のコが好き、という話ではない。ハリセンと言い合うシーンなんて、もう。あと何話あるのか知らないけど、最終回が楽しみだ。が、或るブログで「TVタックル」にベンジャミン・フランクリンが出ていたという話を見つけて、えっ、ベンジャミン・フランクリン!?と驚いてしまったけど、単に同姓同名なだけか(当たり前だ)。あぁ、こういうことを書くと学がないことがバレるぜ俺。 それにしても、「のだめ」、誰もが「原作を本当に忠実に再現している」と言い、「だからよい」か「だから受け付けない」のどちらかだ。でも、そんなことはどうでもよい。あまりにもコミカルなドラマは好きじゃないんだけど、そういう俺にシラケさせないだけの、物語を先に進めていく力があって、すごく好きだ。物語なんて、そりゃあ進んでいくだろうよ、と思われるかもしれないけど、他のドラマって、わりとこう、さらさらと話が流れていく感じがあるんだけど、流れているというよりも漕いでいる感じがする(登場人物のそれぞれが)。 深夜、「くりぃむナントカ」(テレ朝)を観て、「くりぃむナントカ」と「虎の門」のプロデューサーが同じ人であることを知り、納得する。「浜ちゃんと!」(日テレ)のゲストは松下奈緒。さすがにスタイルがいいし、いかにもキレイなお姉さんという感じではあるけど、それだけだね。「カポーティ」だか「ゆれる」を観たときに、予告で「アジアンタムブルー」が映って、そのときにも同じ感覚だった記憶がある。
帰ってきてからも、目が冴えてしまって中々眠れない。そのせいで、起きたのは……。
「ボブ・ディランの頭のなか」を観ているときに、その訳ってどうよという話はさておき、俺の頭のなかはどうなっているのだろうか、と考えていた。数ヶ月前に観た映画のタイトルもディティールも、ほとんど残っていないし、本の内容だって、読んだ端から忘れてしまう。まぁ、だからこっちやあっちで、その記憶を引き出すためのカギを記録しているんだけどさ、そらでは中々思い出せない。あーあ、もうちょっと記憶力がよければなあ、と思う。 Kちゃんの実家に遊びに行ったときに、お母さんが「私がリアルタイムで見聞きしてきたことを、ちょっとのあいだで知らなきゃいけないっていうのは、タイヘンよねぇ」とおっしゃっていたが、たしかに、たとえば「no direction home」で出てきた人の名前なんていうのはすぐに忘れてしまうけど、自分にとってどうでもいい名前、たとえばオリコンにランク・インしているような名前、こういうのはべつに覚えようともしていなければ覚えていたくもないのに、その名前は頭のなかに残ってしまっている。 そういうことを考えると、その名前に頻繁に触れるというか、なじむっていうことが重要なんだろうなあ、と、(今更ながら)考えていた。考えているうちにあっという間に日付は変わってしまう。
昼頃起きる。
17時に部屋を出て、明治通りを北上して池袋へ。まず「新文芸坐」でチケットを購入すると、整理番号が109番。えっ、109!?9番目、ってことはないだろうし、オールナイトってそんなに混雑するのか。憂鬱になりながら西池袋の大学へ。お腹が空いたので大学前にある「carmel」という店に入る。昔ながらの小さな喫茶店という感じだけど、古めかしいというわけではない。カレーを一旦注文してから、すぐに「す、すいません、やっぱりオムライスで!」と。とてもおいしいという味ではないけど、なんだか懐かしい味がする。ウインナーが入っているからかもしれない(ウインナー入りのオムライスなんて、初めて食べたけど)。 店内のテレビで大相撲の結びの一番を観て、大学へ。この大学に来るのは数年ぶりだ。曽我部恵一の日記や或るブログを読んでいて、そんなに素敵なキャンパスだっけ、手狭なイメージしかないぜ、と思っていたんだけど、なるほど素敵なキャンパスだ。夜だから余計にそう感じるのかもしれない。しかし、いつまでもキャンパスに見とれている場合ではない。キャンパスツアーに来たのではなく、図書館に来たのだ。リバチイ・タワアでは入館カードをつくってもらえて、2回目からはそのカードですぐに入館できるのだけど、ここではその都度申請しなければならないようだ。これまたリバチイ・タワアと違い、書庫には入れない(今後この図書館に来ることは少ないだろう)。 わざわざやってきたのは、漠然と図書館見物にきたというだけではなく、目的がある。「旅」(JTB)のバックナンバーを保存しているのが、俺が簡単に入れそうな図書館のなかでは、ここしかなかったのだ。ツボウチさんが、講演で、10年くらい前に「旅」のルポで能登に来たことがある、とおっしゃっていて、その記事が気になったのと、昔の「旅」がどういう雑誌であるのか、バァーっと見てみたくって。正確には10年前ではなく、6年前だった(といっても、ツボウチさんの記憶が曖昧だったわけではなく、講演では「10年くらい前」と言っていたけど、講演後のタクシーでは「6年前に「旅」で能登に来たときには…」とおっしゃっていた)。書庫には入れなかったから、バァーっと眺めることは叶わなかったけど、2000年の「旅」は、いまの「東京人」みたいになっていて、別段面白そうな雑誌にもみえなかった。 20時に図書館を追い出され、西口前のマックで時間をつぶす。21時40分に、混雑を覚悟してブルーになりながら「新文芸坐」に戻ると、あれ、大して混雑していない。どうやら最初の「1」は、当日券というぐらいの意味しかなかったようだ。まぁ、どれもDVDで観れるわけだし、そんなに混雑しているほうがおかしいんだけどさ。とにかく、今日も無事にベストな席(一番後ろの端の席)に陣取ることができた。 「no direction home」、ライヴシーンにシビレながらも(何でみんなあんなにジッとしていられるんだろう?)、最初に観たときとは気になるポイントが違うことに気づく。それにしても、スージーは美人だ。2本目の「ボブ・ディランの頭のなか」の時間は、ちょっと集中力が切れかけていた。その物語とディランがどこまで関係あるのか分からないけど、「no direction home」とは違う印象を受ける。政治的、というとも違うけど、クリティカルだし、そういう部分が素直に出ている感じがする。最後のシーンで、ジャック・フェイト(=ディラン)は「ぼくはもうずっと前に、答えを探すことをやめてしまった」と言っていたけど、“答え”ではなく“答えを探すこと”をやめていたら、こういう映画にはならないんじゃないだろうか。いや、それにしてもペネロペ・クルスがかわいい。最後の「ビートニク」は、俺の知らない世界だったから興味深くはあったけど、俺の眼はもう疲れきっていた。それにしても、ギンズバークは美しい、なんてことは思わない。 しかし、何でこういう上映順になったのだろう。「ビートニク」→「no~」→「頭のなか」にしてくれたら、すごくわかりやすいのに、と不満に思っても仕方がない。上映が終わったのは5時20分。外はまだ暗い。鼻水をたらしながら明治通りを歩いて帰る。
昼頃起きる。
渋谷から井の頭線に乗って駒場へ。今日は駒場祭が行われている。が、単に駒場際というだけで来たわけでは当然なく、そう、向井秀徳アコースティック&エレクトリックが出演するのだ。キャンパスで迷っていると、ジャッジャッジャッジャジャッ、と、ギターの低音が聴こえてくる。おお、「Sentimental Girl's Violent joke」だ!1曲目がこの曲だとゾクゾクする。新館前に設置された、いかにも学祭的なステージに、向井秀徳は立っていた。 観客はざっと200人くらいか。結構ゆったり観れる。しかし、東大生って結構オサレだ(下北にも渋谷にも程近いんだから当たり前か?)。原宿あたりにいそうな大学生という感じ(「原宿あたりにいそうな“若者”」ではなく、「原宿あたりにいそうな“大学生”」というのがミソ)。観客のうちにどれだけ東大生がいるのか分からないけど、今日は平日だし、結構東大生率が高いはずだ。東大にもこういう音楽を聴く人間がいるんだと思うと、日本も大丈夫かなと思う。まぁ、その格好を見るに、そういうコースとは関係のなさそうな学生ばかりだったけどさ。 肝心のライヴはというと、東大生は意外とノリが良かった(いかにも学生的、というか)。ただ、盛り上がるには盛り上がっていたし、俺はまあ向井さんが歌っていれば興奮してしまうからアレだけど、向井さん自身はそこまでテンションが上がっていなかった。これは時間が早いせいなのか、それとも開放的な空間でのライヴだから熱が逃げてしまうからなのか、分からないけど、とにかく13日の広島や18日の恵比寿ほどの高揚感はない。 向井さんはアコエレで「Water Front」を歌っている途中、必ず「エビバディスタンドアッププリーズ!!」と叫ぶ。オールスタンディングなのに、である。今日も叫んでいた。歌詞も結構間違っていたし、なんだか惰性というか決まり文句として叫んでいるだけのような気がして嫌だったんだけど、実際に座っているかどうかではなくって、もっと精神的な部分でスタンドアップしろ、と叫んでいるような気がしてきた。この曲ではいわゆるコール&レスポンスをやる数少ない曲であり、盛り上がりどころであるから、ステージの上と下との相互作用としてアガッていくために、そう叫んでいるのではないだろうか、と。 これを書いているいま現在、酔っ払っているので、何を書いているんだか分からなくなってきたのでこの辺で切り上げよう。セットリストは、 1. Sentimental Girl's Violent jokeである。セットリストを書いているうちにもう少し書きたくなってきたぞ。「KIMOCHI」は、最近アコエレのときに“つなぎ”的に使われている。今日も適当に歌いながら客を上げて歌わせて、それで終わってしまった。名曲だけに、もったいない(その名曲を名曲として歌ってしまうと、会場の緊張感だとか雰囲気がしっとりかっちりし過ぎてしまう、ということを直感的に捉えて、そうやってライトに演奏しているんだろうけどさ)。アンコールで今日も客を次々と上げていたが、客は学生であり、遠慮がない。だから次々とステージに上がってしまい、身動きが取れないほどに客がステージを占拠していた。そこで、向井さんはステージを降りてそのまま帰ろうとしたんだけど、そこにもまた客がいる。わーっと囲まれてしまい、おわっと驚いて再び上がろうとした向井さんだったが、シャツやズボンを引っ張られて、しっちゃかめっちゃかになっていて、その光景がなんだか珍しくって笑ってしまった。 そのまま自分の大学へ行って図書の延長手続きを済ませて帰宅し、21日の講演を文字に起こし終える。だらだらとキンミヤのお湯割りを飲みながら、今週もまたフライデーナイトに酒が飲めないぜ、と思っていたら、高校の同級生N田から電話があり、高田馬場「清龍」で飲むことになる。いわゆるモトカノから久しぶりに連絡があって今夜飲むはずだったのに、約束の時間になって「ごめん、やっぱりまだ会えない」と断わられたそうだ。金を払った記憶がないが、日付が変わる前に解散する。 帰宅後、録画しておいた「セーラー服と機関銃」(TBS)最終話。もうね、最低。単なるお説教だ。薬師丸ひろ子の名台詞にあるように、それまで道具を持ったことのなかったふつうの女子高生が機関銃をぶっ放すことで或る種のカタルシスを得る、というところがハイライトであり、それを描くためのドラマであるはずなのに、その機関銃は単なる報復の道具に成り下がってしまった。命の重みを叫びながら機関銃をぶっ放して涙を流されて、主人公に残ったのは快感ではなく虚無感である。観ている側は、一体何を感じればいいのだろう?映画版が公開されたのは俺が生まれた前年だけど、俺が生きているあいだに日本の道徳意識がすっかり低下してしまったんだな、と思わずにいられなかった(低下したからこそ、そのカタルシスを描くことができなくなってしまっている)。なんて書きながら、映画版を観たことがないので、そのうち借りてこようと思う。
11時に起きる。まだ腰に違和感がある。
今日は俺にとってはただの平日であって、感謝される日(他の人たちの勤労に感謝する日ではあるか?)でもなければイヌの日でもなく、新宿御苑に行く日でもない。本当は相方と高尾山に登るつもりだったのだけど、昨日の天気予報では雨だと行っていたので中止にしてしまった。 ツボウチさんの講演を文字に起こす。起こしたところでどうするわけでもないんだけど(いっちょ送ってみるか、という度胸はない)、或る種の復習である。ふと、リバチイ・タワアで借りた図書が期限を過ぎていることに気づき、出かける。「平野書店」で数冊、それから「古書現世」で『第一書房 長谷川巳之吉』と、いくつか読んでみたい本をみかけたけど、金沢に行ったばかりだし、財布と相談した結果買い控える。 早稲田から東西線→半蔵門線と乗り継いで神保町へ出る。すずらん通りをふらついてリバチイ・タワアへ行くと、唐十郎展をやっている(と書くと、いかにも偶然見つけたようだけど、祝日である今日も図書館が開いているのかをネットで確認したときに知った)。「展」というほどのスペースでは全然ないんだけど、状況劇場のポスターや、「泥人魚」の小道具(潜水帽や湯たんぽ)が展示されている。展示を見終えて延長手続きをしようと思ったら、「もうコンピュータの電源を落としました」と断わられる。 ふてくされながら返却し、スタスタと靖国通りを歩いていたら、普段は気にならない「村山書店」の均一棚が気になる。そこにいたのは福田恒存『人間・この劇的なるもの』(中公文庫)だった。200円という値段を考えると、別段珍しくもないのかもしれないけど、嬉しい。
6時18分に東京駅八重洲口に着き、がらがらの東西線で帰る。
しかし、ちょっと新宿へ行くのも、ちょっと金沢へ行くのも、大して変わりはない。そりゃお金と時間はかかるけどさ、いま自分が生活しているところから地続きな感じがする。ザゼンに関して「おっかけ」と言われることもあるし、言われたとしても否定する気はないし、人に説明するのがまわりくどくって「おっかけ」と自称することもあるけど、「おっかけ」であるつもりはない。べつにライヴをなるべく多く行ってやろうと思っているわけではないし、何かを競うつもりもないから。ただ単に「あぁライヴやってるんだ。じゃあ行ってみようか」というだけで、ライヴ会場がどこであっても、あまり関係ないのだ。もちろん、『この街は行ってみたい』ということが関係してくるけど、それは『代官山は苦手だけど新宿は好き』というのと同じレベルだ。 話を金沢に戻せば、昨日の講演だって、最初は『へぇ、講演があるんだ』と思っていただけだったけど(ネットで知った)、「わたしと読書」というタイトルを知って興味が沸いて(ツボウチさんの読書(読書する日常)って、どういうものだろう、というのは、最近の関心事の一つだから)、しかもその街が金沢であるなら、ふと行ってみたくなったのだ。そういうフットワークの軽さは自分がヒマであるということによるものだから、「単にヒマである」ということを卑下することもないかな、という気にもなってくる。 ただ、32時間のうち半分近く夜行バスに乗っていたせいで腰が痛い。ということで、ベッドに横たわって本を読んだり、録画しておいた番組を眺めたり。「のだめカンタービレ」(フジ)、先週見逃して、先々週の感動を思うと、あそこが最終回でも良かったのではという気がしていたのだけど、そうだ、俺は玉木宏にしか注目していなかったからそういう感覚だったけど、主人公である上野樹里の話は片付いていなかったんだ(最初は上野樹里はイマイチだと思っていたけど、玉木宏があそこまで映えるのも上野のおかげかもしれないと思うようになってきた)。「役者魂!」(フジ)、説教くさいけど、香川照之と森山未來が良い。松たか子も悪くないけど、松たか子は松たか子でしかなくて、そんなに面白味はない(松たか子といえば、「HEY!HEY!HEY!」で、こどものことを「ガキ」と言っていて驚いた)。「僕の歩く道」(フジ)、このドラマで描かれている生活の温度は結構好きだけど、「僕と僕と彼女の生きる道」のほうが好きだ。 ドラマ以外でいうと、「くりぃむナントカ」(テレ朝)の珍しくつまらないコーナーに石原さとみが出ていた。彼女のドラマを観たことも何もないんだけど、あの眉毛が、意志の強さというか真の強さを主張しているようで好きだったのだけど(そういう意味では、某団体であってもかまわない)、でも、バラエティに出ている彼女はただの今どきのバカっぽい女だった。
7時過ぎにバスがたどり着いたのは金沢だ。
ここ2年で3度目の金沢である、と書いた時点で、『どうせ向井秀徳だろう』と突っ込まれそうだし、実際突っ込まれてしまったのが微妙なところではあるが、とにかく、3度目の金沢である。朝早くから開いている場所がひとつしか思い浮かばず、バスに乗って兼六園へ。開園時間の8時まで公衆トイレで歯を磨いて待つ。 朝早くから観光に来ているツアーのオバサンたちを避けるようにして兼六園を見学する。前に来たときには雪が積もっていて綺麗だったけど、今回は今回でちょうど紅葉の季節で素敵だ。島清が出版記念会を開いた「奇観亭」で朝飯代わりに何か食べようと思っていたのだけど、料亭ではなくなっている上に、商売っ気すら感じられない。団子の凝視していても、近くに何人もいる店員はそれぞれの作業に没頭している。 30分ほどで兼六園をあとにして、さて、どうしよう。とりあえず近くにある「石川近代文学館」へ行ってみるも、開館まで1時間近く待たなければならない。さすがに8時台から開いている施設は少ない。朝早くから開いているとすれば、そうだ、市場だ。近江町市場で朝から海の幸を食ってやろう、ということで、バスで市場へ。市場には蟹がこれでもかと並んでいる(でも、海産物以外を扱う店も結構ある)。軽く海の幸を食べられる店を探すもあまり見当たらず、結局2年前と同じ寿司屋で海鮮丼を食らう。朝から豪勢過ぎるぜ俺。座敷では朝っぱらからサラリーマンたちがゆっくりしている(金沢はそういう文化なのだろうか)。 駅まで走って北陸本線にかけ乗り、向かった先は宇野気である。ウノケ?Where?となる気持ちは俺も同じだ。そう、金沢に来たのは『ふと遠くへ行きたくなって…』なんていう理由からではなく、ちゃんと目的があったのだ。宇野気で電車を降りて、駅前に西田幾多郎の名前を見つけて驚きながらも河北台中学校へ。今日は石川県図書館大会が行われている。そんなことはどうでもよくって(どうでもいいというか、俺とは関係がない)、ツボウチさんによる記念講演「わたしと読書」があるのだ。東京での講演と違って、こういうところでの講演では『ひとりに届けばよい』というような内容の講演になるかと思っていたけど、そんなことはなかった。「県図書館大会」ということで、図書館や本(本というより、棚か?)のあり様にまつわる話。べつに内容を誰かに伝達するために来たわけではないから内容は省くが、熱心に聴いている人は少なかったように思う(なんて観察している俺はどうなんだ)。メモを取る人はほとんどいなかったけど、写真を撮っている人はたくさんいて、多くの人にとっては“講演を聴いて何かを得る”ことよりも“評論家先生の話を聴いたという事実”のほうが重要なのだろう。まぁ、あくまで「多くの人にとっては」だけどさ(と書くのは、『俺はそうじゃないぜ!』って言いたいからじゃないよ、念のため)。 90分の講演を聴き終えて外に出ようとすると、出入り口にツボウチさんがいらっしゃる。ご挨拶すると(というか、目があったのでオドオドしていたら)、金沢駅までのタクシーに同乗させていただけることになる。これは講演でおっしゃっていたことであるが、ツボウチさんが金沢(石川県ではなく、金沢)にいらしたのは初めてだというのが、とても意外だ。タクシーに同乗させていただいただけではなく、お昼ごはんもご馳走になる。金沢駅ビル1階にあるおでん屋「黒百合」できときと刺身定食(1650円)とおでん(シュウマイのおでんなんて初めて食べた)を、セットでついてきたビールを飲みながら。会話がディープで中々口を開けない(ご馳走になっておいて黙っているって、どうしようもないね)。するするするとホームへと去っていくツボウチさんを見送る。去年「金城庵」から大久保「K」へ流れたときにも、そして「SPA!」の対談でも話題になっていたことだから知識としては知っていたけど、本当にツボウチさんの荷物が少なくて驚いた。東京から金沢にやってきた荷物とは思えない。1泊2日とはいえ、本当に少ない。 福田 ワタクシは、どんなに短い旅行でも、途中で読む本を選ぶところからはじまって、パジャマまで、荷物が多くなるからなあ。考えると……さしあたって仕事に関係なくても、結局、全部が取材旅行なんですな。 金沢が「町を流れている犀川と浅野川の二つの川、それに挟まれていて又二つの谷間に分けられてもいるこの町という一つの丘陵地帯、又それを縫っている無数の路次」から成っていることを確認するために、どこか高いところから金沢を見下ろしてみたい。駅前で一番高いホテル「ポルテ金沢」へ行ってみたけど、展望スペースなんてものはなかった。展望は諦め、歩いて「泉鏡花記念館」へ。隣に「菓子文化会館」が併設されているのかと思いきや、立地・規模からしても「菓子文化会館」に併設されているといったところ。中もさほど広くない。浅野川で涼む必要もないので梅の橋を渡って「徳田秋声記念館」へ。同じ小学校へ通っていただけあって、記念館もすぐ近くだ。こちらの記念館のほうが面白い。そうか、泉鏡花は職人の息子だけど、秋声は武家の子だったんだね。四方田犬彦が吉田健一『金沢;酒宴』の解説で ……端的な話が川である。『金沢』の冒頭にもあるように、「町を流れている犀川と浅野川の二つの川、それに挟まれていて又二つの谷間に分けられてもいるこの町という一つの丘陵地帯、又それを縫っている無数の路次」が金沢旧市街のとりあえずの全体なわけだが、この二筋の川が与える印象はまったく異なっている。……犀川を見下す視座は伝統的に武士階級によって築きあげられ、洗練されてきた。一方、浅野川といえば、川辺に遊芸人が仮小屋を建てて芝居を披露したり、周囲に……職人町が配列されていたことからも自明なのだが、どこまでも町人の低い視座を前提として愛でられ、謳われてきた川であった。 と書き、この川の対比から、鏡花が「浅野川を繰り返し描きながらも、なぜか犀川に関心を寄せなかった事実とも深く関係している」と書いているが、秋声や鏡花の時代にどこまでその名残があったのだろう。いまはそういう匂いがほとんどしなくなってしまった川辺を歩いていると、ただ単に浅野川の近くで生まれ育ったから浅野川しか描いていないのでは、と言いたくなってくる。 時間がないのでタクシーに乗り、再び「石川近代文学館」へ。講演でツボウチさんが褒めていて、講演後にも「hstmさん、近代文学館に行ってみるといいですよ」とおっしゃっていた(最初から来るつもりだったけどさ)。建物としても素敵だ。四高(旧制高校)をそのまま利用していて、この赤レンガ造りの学校は、秋声が同校を退学した時には起工準備中で、紅葉から原稿を返されて帰郷し復学しようとしたときに竣工しているのを目にした、と、「徳田秋声記念館」に書いてあった。天井がすごく高くって、他に客もいなくって、この建物を一人占めできているだけでも嬉しくなるのだけど、展示も素晴らしい。なるほど、マイナー・ポエットの作家もきちんと展示されている。しかし、如何せん時間がない。閉館まで20分ほどしかなくって、早足でしか観られなかった。もう少しゆっくりと、またそのマイナー・ポエットを単にマイナー・ポエットとしてだけではなく観れるようになってからまた来たいと思う。 ふと、講演でツボウチさんがおっしゃっていた『加能作次郎集』のことを思い出して(数年前に発売された『加能作次郎集』が近代文学館に置いてあったけど、荷物になるからと思って買い控えて、ホテルに帰ってから『やっぱり買っておくんだった』と悔やんでいたら、ホテルの近くの「リブロ」で見つけた、あの「リブロ」は中々良い、という話)、グッズ販売のスペースを見ると、たしかに『加能作次郎集』が並んでいる、並んでいるが、「見本」というシールが貼られている。受付の人に尋ねてみると、あくまで見本が置いてあるだけで、欲しい人はこちらに問い合わせてもらうことになっています、と版元のチラシを渡される。 17時になると、観光施設の多くは閉まってしまう。さっき乗ったタクシーの運転手が「美術館は遅くまで開いてますよ」と教えてくれたので、「金沢21世紀美術館」へ。『るるぶ』に「ユーミンやビョークも訪れた!」と書いてあったから、あーじゃあ俺は行かねえや、と思っていたのだけど、他に思い当たる場所がないので仕方がない。他の美術館のように順路に沿ってずらずらと並べてあるのではなく、空間を贅沢に使って展示されている(すごく広い部屋にひとつのオブジェが置いてあったりする)、が、展示物自体には何の魅力も感じられない。はいはい、キッチュですこと、とつぶやきたくなってくる。しかもその空間にスタッフがいて、広い空間に数個の展示物とスタッフしかいないから、そのスタッフの存在感が大きくって落ち着かない。すいませんね、こんなところに迷い込んじゃって、とスゴスゴと美術館を出る。 柿木畠を通って久しぶりに「もっきりや」を覗き(こういうホンワカした空間に入り込む勇気はない)、片町から竪町の辺りを散策する。この辺りが一番栄えている。そうだ、この場所で向井さんに声を掛けられたんだ、と思い出にひたりながら犀川に至る。暗くてよく見えないが、吉田健一がなぜこの眺めを好んだのか、よく分からない。島清が住んでいたにし茶屋街を少しだけ歩く。犀川を越えた辺り(犀川の西側)は寺と茶屋街があるだけで、俺のようなミーハーな観光客が歩いて楽しい場所ではない。川の東側が明るいだけに、こちら側はその暗さばかりが印象に残る。 どこかの居酒屋でのどぐろを食べたかったのだけど、安い店でも2千円はする。そうか、のどぐろって高級魚なのか。諦めてバスで駅に戻り、またもや駅ビルでごはんを食べることにする。ツボウチさんが入ろうとしていたけど見当たらなかった「加賀屋」を発見するも、すでに閉店している(昼を食べていたのは「あじわい館」で、「加賀屋」があるのは「おみやげ館」。「あじわい館」のマックの脇にある扉を抜けると「おみやげ館」に繋がっている)。しかし、初めてなのになぜ「加賀屋」に反応していたのだろう。結局「銀座ライオン」で能登豚定食を食べる。駅前の「APAホテル」の露天風呂に浸かってから22時発のバスに乗って東京に戻る。
昼頃に起きる。
これから向かう先関係の本を読んで過ごし、21時に部屋を出る。駅前の本屋に寄って、東西線で大手町へ。缶ビール片手に東京駅八重洲口から高速バスに乗る。東京駅を出て、国道20号線を通って新宿へ向かったバスは、なぜか明治通りを左に入り、紀伊国屋書店(新宿南店)のまわりをぐるっとまわって、今度は明治通りを北上し始める。何でちょこっと南下したんだろう。 読書灯をつける勇気もなく、練馬から関越自動車道に入ったところで眠りにつく。
10時に起きる。
昨日録画しておいた「東京タワー」を観る。最初『うーん、三丁目の夕日になってないか?』と思いながら観ていたけど、思いのほか良い。2時間半を長いと感じなかっただけでも素敵だ。大泉洋も意外に良い。だけど、やっぱり塚地より山本だよなあ、あそこは。途中、東京タワーの下のベンチで大泉と広末が会っているシーンで、ふたりがスタバ的な容器でコーヒーを飲んでいる。えっ、そんなのオカンが生きていた頃にもあったの、と思ったら、そのシーンはオカンが死んだあとという設定だった。それから、オカンが働いていた定食屋の「だるま食堂」という名前に反応してしまう。 ぼんやりとテレビを眺めていたら、渡辺真理が「平成教育予備校」(フジ)に出ていた(あとで調べたらレギュラー出演していた)。俺はこの人が出るような番組を普段みることがないこともあって、あの番組以外でみるのは初めて。相変わらず美人ではあるが、どこか哀愁がある。哀愁といえば、同じく1967年生まれの草野満代(ただし草野満代は早生まれ)の写真が先週の「新潮」だか「文春」だかに出ていて、そのホームでの佇まいには哀愁があった。哀愁、というか、ああいう人もひとりでケータイいじりながらホームを歩いているんだな、と思うと、なんだか勝手に哀愁を感じてしまったのだ。 天気によってその日の気分が左右される性質なので、今日はどうにもダメだ。相方みたいに「雨の音が好き」なんて言えるほど風流(?)でもないし。しかし、「雨だから今日はダメ」なんて、もうすぐ24になる人間の言葉じゃないやね。昨日のフットワーク問題にも関連してくるけどさ、このブログを読んだ或る人が「うらやましい」と言っていたけど、それは「うらやましくなるような素晴らしい日々を送っている」ということではなく、「自分が好きに使えるヒマな時間があってうらやましい」というだけのことだろう。まぁ、いいさ。 < 前のページ次のページ >
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